僕が必ず君を守るよ

ただの関西人。

大好きだったユニットが、永遠に伝説の非公式ユニットになった話。



7人が横並びになった松竹座のステージは、涙で滲んで、誰がどこにいたのかも分からない。
だけど、あのとき間違いなく、ステージの最前列にはFunky8だった7人が真横に並んでいて、そこに私の好きな人はいなかった。
それでも良かった。
それでもいいから、嬉しかった。






本人たちは、きっともう振り返らないと思っていたから。
前を走る二人は、振り返る必要なんてないと思っていたから。
それでもあの日、7人で笑って並んでいたのは、私が大好きだった、Funky8の7人だった。





残る一人は、きっとどこかで見ていたんだと思う。
彼のことだから、きっと一緒に笑っていたんだと思ってる。
出ようと思えば、あのステージに出ることだって出来たはず。
だけど、誰もそうしなかった。
どこかで見ていたのなら、誰かが引っ張って連れて来ても良かった。
来ていなかったのなら、連絡して来てもらうことだって出来た。
でも、最後だと分かっていても、8人で並ぶことは選ばなかった。





もう、表に立つつもりはないのかな。
るたこじと一緒に、ラストステージだったのかな。
なんとなくだけど、そう感じた。





きっともう、残された6人が並ぶことはないと思ってる。
別々のユニットにいるから。
でも、それだけじゃない。
きっともう、8人の中では区切りがついてる。
8人じゃなきゃ、きっと並ぼうとしない。
それぐらい、8人でいることに意味があったんだ。
もし、また6人が並ぶ日が来たら、それはきっとまた誰かのお別れの日。
そんな日は、来なくていいよ。
でも、6人が並びたいと思ってくれるなら、いつまでもそのままでいて欲しい。






その数日後、平成の終わりとともに、ステージを降りたアイドルがいた。
誰よりもステージが似合って、誰よりもアイドルだった。
2002年の夏に関西Jr.になってから、自分で卒業を発表するまでの16年半、彼はずっと“関西Jr.”だった。
彼のことを知ったのはそれこそまだ彼がちびっこJr.だった頃。ウチワを持ち始めたのは2007年の夏だったと思う。
最近だと思っていたけど、なんだかんだ干支が一回りするくらいにはウチワを持っていたらしい。
途中で私がウチワを置いた時期も無いことはなかったし、彼が松竹座にいないことも多々あった。
それでも彼はずっと“関西Jr.”だった。
お手紙もたくさん書いたし、あと少しは書ける機会があると思って、レターセットもたくさん買った。





同期も後輩もユニットとして活躍し、自分達でデビューを掴み取り。
一緒に踊っていた仲間たちはそれぞれの道へ進み。
気がつけば、関西Jr.歴は最年長。年齢でも上から2番目。
だけど立ち位置はせいぜい後ろのセンター。
それでも、絶対にアイドルであり続けた彼のことが大好きだった。
バック担も楽しかったし、仕事くれ!なんて文句言いながらいるのも、なんだかんだ満喫していた。
それもこれも、うしろで踊っていた彼を探して、「ダンス上手なったな。絶対に腐るなよ」と声をかけてくれた、憧れの先輩のおかげだと思っている。私は。





何度も「これが最後かも」そう思って会いに行った。
それでも諦めたくなくて、少しの可能性にかけて、各雑誌やメディアにハガキやメールを送ったりもした。悪あがきにしか過ぎなかったけど。
「最後かも 」そう思っていても、どこかでは「もう少しだけ」と、望んでいたし、願わずにはいられなかった。
あけおめで龍太くんの涙を見て、「タイムリミットは長くてあと1年」そう覚悟した。
思っていたより、そのタイムリミットは早くやって来た。
でもそれは、「逃げ」でも「諦め」でもなくて、本人の「選択」なんだと思っている。





私はアイドルの彼が好きだった。
踊っている彼が好きだった。
それ以上に、ジャニーズとして、関西Jr.として、ステージに立っている彼が好きだったんだ。
ステージに立つことはなくなったかもしれない。
だけど「踊ること」と「ジャニーズ事務所に所属すること」は、これからも続けてくれるらしい。
そして「関西Jr.に関わること」も、彼は諦めなかった。
なにわ男子の結成も、Aぇgroupの活躍も、正直言えば羨ましいし、悔しいと思うこともあった。
でも、それ以上に私は「関西Jr.」が好きだと気付いた。
大好きな関西Jr.を、大好きな彼が輝かせてくれる。そんな楽しいことない。






林真鳥が作る関西Jr.のステージ、楽しみでしかない。
関西Jr.の新時代を担う振付師が、林真鳥で良かった。











そんな彼が所属した、アイドル人生最後のユニットは、「Funky8」という、最強の非公式ユニットだったんですよ。





ありがとう、Funky8
私が愛したのは、最強の非公式ユニットだったよ。
バラバラなのに、ガチッとハマる。
どこまで好きにさせるんだと、本気で困ったこともあった。
でも、そんな日々すら、楽しくて楽しくて仕方がなかったんだ。





たくさん泣いたし、きっとこれからも思い出しては涙をこぼすんだと思う。
でもね。
それ以上に、Funky8に笑顔にしてもらった思い出の方が遥かに大きいんだ。
Funky担として過ごした数年、叶った夢は数えるほどかもしれないけど、それでも本当に楽しかった。幸せだった。





屋良くんが「良いチームだ。育てたい」と言ってくれたあの春も。
東京ドームの大画面に「Funky8」の文字が映し出されたあの夏も。
8人の公式ウチワが並んだあの冬も。
8人が一緒にステージに立ったあの秋も。
全部全部楽しかった。







「もしかして、この8人なら」
当時、諦めていた彼の立ち位置。
もう一度、夢を見させてくれたのは、間違いなくFunky8だった。




8人を平等には愛してあげられなかったけど。
でも、一緒に踊ってくれるなら、他でもない7人が良かったんだ。
頼りない先輩なのに、ちゃんと立ててくれてありがとう。
いっぱい迷惑かけてごめんね?面倒見てくれてありがとう。
一緒に踊ってくれて、ありがとう。





関西Jr.が一番輝く振り付けを考えるのは、間違いなく新星振付師・林真鳥だと信じてる。
そして、そのステージを見られる日は、きっもそう遠くない。









関西Jr.が、Funky8のメンバーが、林真鳥が、それぞれ輝く新時代になりますように。














「思はぬを 思ふと言はば 真鳥棲む 
        雲梯の杜の 神し知らむ」















嘘をついたら神罰を受けるでしょうから、



決してそのようなことはいたしません。








私は本心からあなたが好きなのです。